隣の家の少女を120%楽しむネタバレ解説【閲覧注意】

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隣の家の少女のキャストと評価

出演: ブライス・オーファース, ダニエル・マンシェ, ブランシェ・ベイカー, グラント・ショウ, グレアム・パトリック・マーティン
監督: グレゴリー・M・ウィルソン

評価:60/100点

残酷な物語としては間違いなく5指に入る作品

一方で残念な点もあり、それは後ほど。

隣の家の少女のあらすじ

アメリカのとある田舎町。

12歳の少年デヴィットの隣の家に住む女性、ルースのもとに、両親を亡くしたという快活な美少女メグとその妹で歩行障害のあるスーザンが引っ越してくる。

デヴィットはすぐにメグに心を奪われるのだが、同時期、姉妹がルースによって折檻を受ける現場を目撃しショックを受ける。

ルースの虐待の矛先はやがてメグにより鋭く、偏執的に向けられるようになり、ある時メグは地下室に監禁され、ルースと彼女に扇動された彼女の息子たち、そして近所の少年たちによって凄惨なる凌辱と虐待を受け衰弱していく。

ただ傍観し続け、助けることもしないデヴィットはそれでもある時メグを脱走させようと計画を練りあげる。

計画実行の日、火事を起こし、その隙にルースを殴り脱出しようが彼女の息子たちに阻まれる。

そのとき間一髪で警官が突入し、事態は収拾する。

しかし、時すでに遅し、メグはルースに感謝と愛を告げて絶命する。

映画ネタバレレビュー・感想

(以下完全なネタバレですので注意)

残酷映画でよく名前の出る作品「隣の家の少女」

実は見たことが無かったので改めて見ましたが、やはり噂以上の精神をえぐる作品でした。

題材はシンプルなお話、継母にいじめられる娘のお話です。

とにかく陰険ないじめが続きます。

これまで拷問系の映画はいっぱい見てきましたが、結局大事なことは精神的にどれだけ追い詰められるかだと言うことがわかりました。(自分でも一体何を言ってるんだという感じですが。。。)

王子様の現れなかったシンデレラ

見たときに思ったのはまさに王子様が現れなかったシンデレラです。

両親が死んで、継母のところに行くことになり、そこの家でひたすらにいじめられる。

まるであの昔話シンデレラと同じ境遇です。

シンデレラは王子様が現れてその場を救ってくれました。でも彼女に王子様が現れることはありませんでした。

よしんば現れたのが王子さまであってもまだほんの子供。

彼が何かしてあげられるわけではありません。

むしろ本当に怖いグリム童話ではないですが、もし継母がシンデレラをいじめていたら多少の拷問もしていたのではないかと思います。

そう思うとなんともかわいそうなお話です。

精神的にきついポイントは?

きついポイントは色々ありますが、当然やばいのはその絶対的な悪意でしょう。

ルースがメグを憎む理由はそれほど解明されません。

もちろんルースの旦那がロクな人間でなく、そのせいで頭がおかしくなっていることはわかるのですが、メグに向けられる悪意は理論上説明不可能なくらい深いです。

絶対悪など存在しないと思いますが、少なくても家族を拷問する親というのは絶対悪ではないかと思います。

そこに本作の怖さがあります。

そして家族でメグを拷問するのは母親だけでなくその息子たちです。

これが年齢が小さいのに残酷なことをどんどんしていく描写に恐怖を覚えます。

元々子供というのは昆虫の手足をむしりとったり、いじめをしたり純粋な破壊行為を純粋な気持ちで行う生き物ですが、明らかにその年齢を超えて悪意をもって悪行をおこなっている節があるのです。

すなわち、何をしているか自分でもわからず残酷なことをするのが通常の子供たちですが(だからこそ許されるのです)、彼らは自分たちが悪いことをしていることを少しづつ理解していっている節があるのと、それを楽しみだしている節があります。

それは息子たちが悪いのではなく、ルースという絶対神の母親が彼らを洗脳していくからです。

 事実は小説より奇なり

本作でははじめに本作は事実に基づいて作られているというテロップがでてきます。

史実の事件はシルヴィア・ライケンス事件という名前でガートルード・バニシェフスキーという女性が起こした事件で、インディアナの犯罪史上で最も恐ろしい犯罪と言われた犯罪です。

どんなにフィクションで作ろうとも実際の人間の悪意には遠く及ばないということでしょう。

壊れた人間というのはどこにでもいるものですが、本当にこんな人間がいるんですね。

こういう実在の物語こそ、現実とフィクションの境があいまいになるので真の怖さが出てくるのかもしれません。

ただ、事実と異なる部分にがっかり

一方で事実と異なる部分にがっかりしたこともあります。

実際のシルヴィア・ライケンス事件で彼女は性交渉を含む拷問を受けていません。

コーラ瓶をアソコに無理やり入れられるというような暴行はあったようですが、男性器との性交渉は一切ないことがこの事件の特異性をさらに助長させました。

それは彼女がまさに継母やその家族から淫売として忌み嫌われていたことを示しており、性交渉を持つと性病がうつると思われていたことがわかります。

つまり悪魔払いのように彼女を人間として見ずにとにかく拷問を繰り返して苛め抜いていたことになります。

この点本作では、はじめはなかったものの最終的に性行為が行われる描写があります。

これが本作品を最後の最後でダメにしています。

あくまで彼女は淫売として全う(?)すべきであったのに中途半端にレ〇プなどの描写を入れることははっきり言って犯人を、単に犬畜生と変わらない欲望に忠実なただの強姦罪の犯人となってしまいます。

小説を読んでいないので小説が悪いのか映画が悪いのか。

 隣の家の少女の最後に

とても残酷な話であることは間違いありません。なぜこれを小説にしようと思ったのか、さらになぜ映画化しようと思ったのか。

しかもそれを史実の大事な部分をねじまげて性交渉を入れてまで。

最後の最後で作品を台無しにしていると言わざるを得ないかと思います。

ただただ胸糞悪いだけの映画になっています。

これがあの、性交渉が無ければもしかしたらマーターズに近い映画になっていたかもしれません。

もし本作に興味を持った方はWikipediaでガートルード・バニシェフスキーを検索して本作の元となった事件を調べてみてほしいです。

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